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色んなこと心配して、
疲れて、へとへと。ああもう生きてるのつらい、ってくたびれて、
全放棄するしかなくてひたすら寝てゴロゴロして、
回復して、
たまに突然うぉっしゃやる気まんまんじゃー!って
馬力開放して、
でも少しでもうまくいかないことに出会うとまたどーん下がって
でも何とかやらなきゃ。誰も助けてなんてくれないんだから。
仕方ない。逃げても先送りになるだけ。やるか。
の繰り返しでここまで生きてきました。
そうじゃない人生を知らないんだけど、
どうやら私の人生は「難儀」らしい。
とてもその言葉がしっくり来て、客観的評価なのに、当人からも納得されるなんて、
とても良い観察眼と感覚と言語センスをもっているなあと思い、
その人のことが気になってしまったのです。
何の話。
違う世界線にスタートとゴールを置いてしまった。
単純作業って
自分の仕事としてやる分には好きなのに、
人から頼まれると突然いらっとするのはなぜだろう。
言葉による(愛情)表現ができる人とできない人
ちゃんと好きとか、愛情を言葉にして伝えてくれる人がいい、とかよく聞きません?
いいですよね。賛成です。
私も、言わない人より言う人が望ましいと思います。
でも、昔ほど、言う人を過大評価はしていません。
言う人は、言える人、なだけと理解ったから。
私は元々あまり好きとか、言葉にしない人間で。
そんなものはわざわざ言わなくても伝わるだろうと。
めったに言うもんじゃない、価値が下がる、と。
九州おやじですね。
もちろん理由の一つに恥ずかしいっていうのもあります。
私にとって、言うことは難しいことだった。
それで、「言える」タイプの人になびいてしまったことがありました。
結果、学びました。
言える人は、「言う」ことへのハードルが低い人であって、「言う」ことが難しくなかったりする。そう、下手するとそこに誠実な思いが存在しなくても、言えちゃう。
「言う」人は、「言える」人。
私はたぶん、心のどこかで言える人になりたかった。
でも、もちろん、悪質じゃないタイプの「言える」人になりたいと思った。
ちゃんと、あなたを想ってるよってことを言葉にして相手に伝えられるタイプの「言える」人になりたかった。
で、数年かかって言える人になってきました。
言語化は習慣化、でした。
普段から言葉にすることとを心がけていれば、変われるもんですね。
その過程では言わずもがな自分の中の恥ずかしさとの闘いがあるわけですが…徐々に勝てるようになります。
以上、
好きって「言える」人の中には悪質なタイプがいるので要注意。
好きって言えない人も言えるようになるよ。
恥ずかしさは乗り越えるしかない。
の3点でした。
結婚式に全力を注がないと幸せになれないという呪い
でもあるのだろうか。
と結婚式に参加する度思います。
帰り道には必ず抱く感想。
お忙しいところ盛大なおままごとに付き合う参加者の皆様、本当にご苦労様です。
あそこまでの式を作り上げるエネルギーがあるとは、結婚というのはさぞかしすごい力を持っているのでしょうね…。
現実主義の私からすると、お金は、これからの二人の人生のためにつぎ込めば?と思ってしまいますが。
こんなんじゃあ、自分には結婚式は一生できないだろうな。
バラの花束も、結婚式も、結婚指輪も、すべてはモノとカタチ。
でしかない。
目に見えないものを信じるのは難しいから、そういう目に見えるものに頼りたくなるのはよくわかる。「コレは相手の誠実な”思い”から産出された”モノ”なんだ」と。
でも残念ながら、それらは基本的にお金で買えるものであって、そこに気持ちが乗っかっていないこともある。
見極めは非常に難しい。
医局を離れた理由
私は高齢者医療をやりたくて、医学部に入りました。
そしてその思いは変わらず、卒業後は大学病院の老年科というところに所属しました。
数年経ち、思いは強くなるばかりですが、今はそこからは離れた場所にいます。
卒後数年、大学病院の病棟や外来で働き、頭の良いとされる方々の下で、研修医として学びました。しかし、「この人とは同じ考えや目標を持ってる!」と思える人にはついぞ出会うことはありませんでした。これは結構がっかりでした。高齢者医療の粋が集まった場所にすら、私の居場所はないのか、私が叶えたい夢を理解してくれる人はいないのか、と思いました。
そしてもう一つ残念なことがありました。高齢(患)者に対して大学病院ができることは多くない、ということです。
今なら期待が裏切られた理由がわかります、私は学問として老年医療をしたかったわけではなく、高齢(患)者のための医療をしたかったのです。大学病院という場所は、それに適した場所ではなかった。あの場所をよしとしている人たちとは分かり合えない。
大学病院は私がしたかった医療ができる場所ではないし、医者としての「なりたい私」を育ててくれる場所ではない。
まだ卒後数年の自分がそう判断するのは勇気がいることでした。
医者にとって、「知らないこと」は罪です。医学知識や技術は常に進化し、そのおかげで助かる人がいるから。知らなければ死ぬ人がいるから。
大学付属病院という場所はその点楽ちんです。あくまで、学びの場に付属している病院なので。
若手の医者にとって、医局に属しているというのは一定のステータス?ですよね。ちゃんとしてますよ、という。
そこから離れるというのは、結構覚悟がいることなんです。医者界では「そんなに若いのに医局を抜けたなんて、何かあったの?」と思われる。
(まあ、実際”何も”なかったわけではないんですけど。それはまた別の機会に。)
そのあとの場所で、私は自分の居場所をみつけました。
私の実践したい高齢者医療をやらせてくれる先生と環境をみつけました。
お互いの理想の高齢者医療を理解し、分かり合える先生に出会えて心から嬉しかった。し、私がそこで実践した医療のおかげで助けられたと感じてくれている患者さんもいると思う。
高齢者医療にだって、学術は大事です。でもほかの分野比較すると重要度は下がると思う。
必ずしも、大学病院がベストじゃない。医療者にとっても、患者にとっても。
じゃあ私の考える高齢者医療に大事なことってなんなのか、って話はまた今度整理します。
伝えるのを諦めるのが早すぎる。
わたくし伝えるのを諦めるのが早すぎる
んだけど、なんでみんなそんなに熱量あるの?
持論展開してその場を支配しようなんて到底思えないんだけど
どんだけ頑張って伝えたって100%そっくりそのまま相手の中に伝わる訳でないじゃない?
どんなに頑張っても(あーはいはいなるほど、こういうことね→いやっ…じゃなくて、ん〜なんだろ、~~)ってもやもやするだけじゃない?
でさ、なんかさ、もういいやってなっちゃうよね
たたかう気もなければ、分かり合う気もないんだろうか